将棋文化検定対策⑤ 検定用模擬試験問題 その5

将棋文化検定対策

独自作成した検定問題

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Cコース想定模擬試験問題(歴史編)

今回はCコース想定問題です。

歴史に関する問題のみとなっております。

少し勉強していないと答えられない問題も多いため、

中級レベルとしました。

全部で10問あります。

 

問題

①竜王戦の前身となるタイトル戦はなんといいましたか。
(1)十段戦  (2)明王戦  (3)本因坊戦

 

②江戸時代の将棋三家と呼ばれたのは、大橋家と大橋分家、
あともうひとつの一家はなんですか。
(1)天野家  (2)伊東家  (3)伊藤家

 

③江戸時代後期に天野宗歩という民間の強豪がいました。
あまりにも強いことから何と呼ばれましたか。
(1)棋王  (2)棋聖  (3)竜王

 

④棋士番号1番の棋士は誰ですか。
(1)金子金五郎  (2)木村義雄  (3)金易二郎

 

⑤第二次世界大戦後、GHQによる将棋禁止の危機を救ったのは誰でしょうか。
(1)加藤治郎  (2)升田幸三  (3)大山康晴

 

⑥昭和51年の棋王戦で海外での初めての公式戦が行われました。
その場所はどこですか。
(1)ハワイ (2)ロンドン (3)サンフランシスコ

 

⑦将棋を愛好した十代将軍徳川家治が作った詰将棋集は、
一般的に何といいますか。
(1)象棊攷格 (2)象戯秘曲集 (3)将棋明玉

 

⑧御城将棋の日を11月17日に定めた将軍は誰でしょうか。
(1)徳川綱吉  (2)徳川吉宗  (3)徳川家治

 

⑨江戸時代の詰将棋集である「将棋図巧」の作者は誰ですか。
(1)大橋宗民  (2)天野宗歩  (3)伊藤看寿

 

⑩明治5年に刊行された初めての将棋雑誌はどれですか。
(1)将棋新報  (2)新撰将棋月報  (3)将棋世界

 

解答

① (1)十段戦
1988年に現行の竜王戦と名称変更となっております。
その時十段であった高橋道雄十段は、タイトル返上となっています。
(3)の本因坊戦は、囲碁のタイトルの名前ですね。
② (3)伊藤家
この三家の中から、「名人」が選ばれていました。
③ (2)棋聖
天野宗歩は当時並ぶ者のいない最強の棋士として知られ、
「実力十三段」と恐れられていました。
しかし「名人」は前問の通り三家からしか出せなかったため、
名人にはなれませんでした。
④ (3)金易二郎
「こん やすじろう」と読みます。
大正時代から昭和時代初期に活動した秋田県出身の将棋棋士で、名誉九段です。
棋士番号制度が始まった1977年4月1日時点で存命していた将棋棋士の中で、
金名誉九段が最もプロ入りが早かったことから、
棋士番号1が与えられています。
ちなみに(2)木村義雄は2、(1)金子金五郎は3です。
⑤ (2)升田幸三
当時GHQは、
「将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。
これは捕虜虐待という国際法違反である野蛮なゲームであるために、
禁止にすべきである。」と、
連盟から派遣されてきた升田に将棋禁止を迫りましたが、それに対し、
「チェスは捕虜を殺害している。
これこそが捕虜虐待である。
将棋は適材適所の働き場所を与えている。常に駒が生きていて、
それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である。
「男女同権といっているが、
チェスではキングが危機に陥った時には
クイーンを盾にしてまで逃げようとする。
と升田は反論。
この発言により、将棋は禁止されることを回避できたのです。
⑥ (1)ハワイ
昭和51年1月21日(日本時間22日)、
内藤國雄九段と大内延介八段との間で行われ、
千日手指し直しの末に内藤九段が勝ちました。
⑦ (1)象棊攷格
「しょうぎこうかく」と読みます。江戸時代の将軍の中で、
最も将棋を愛好したのが家治でした。
⑧ (2)徳川吉宗
御城将棋とは徳川将軍の前で年に一回行われる対局のことで、
この日である11月17日が現在の将棋の日となっています。
⑨ (3)伊藤看寿
一年間で最高の詰将棋に与えられる賞である「看寿賞」にも、
その名が冠せられています。
「将棋無双」も有名ですね。
⑩ (2)新撰将棋月報
伊藤宗印七段(のちの十一世名人)の棋譜などを載せていました。

*敬称略 *2018年9月14日現在

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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