元祖イケメン棋士
*2019年3月19日更新
郷田真隆九段
*日本将棋連盟より引用
棋士番号 | 195 |
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生年月日 | 1971年3月17日(48歳) |
出身地 | 東京都 |
師匠 | (故)大友昇九段 |
竜王戦 | 1組 |
順位戦 | B級1組 |
*2019年3月19日現在
今回は郷田真隆九段をご紹介いたします。
2年前の2016年8月にご結婚された時、
棋界に衝撃が走った事は記憶に新しいのですが、
なぜそこまで騒がれたのか……。
それはおいおい語るとしまして、
まずは郷田九段の半生を見てみましょう。
3歳で将棋を覚える
*将棋ペンクラブログより引用
郷田九段は、3歳の頃に将棋好きな父親から将棋を教わり、
グングン腕を上げていきました。
小学校6年生だった1982年12月、奨励会に6級で入会しましたが、
当初は成績不振で、一時は7級に降級しました。
しかしその後は順調に昇級を重ね、入会から2年半で初段昇段。
1985年12月に二段に昇段しましたが、
翌年に高校に入学すると「あまり将棋の勉強をしなかった」(本人談)ということで
一時成績が低迷します。
ご本人によれば、この時期に初恋を経験するなど、
プライベートでいろいろ出来事があったということです。
どんな初恋だったのかは気になるところですが、
何にでも全力投球してしまうらしい郷田九段の性格を考えると、
将棋に手がつかなくなってしまったことは容易に想像できますね。
プロデビュー
*将棋ペンクラブログより引用 左が郷田九段。右は同期プロデビューの丸山 忠久九段。
奨励会の三段リーグに入ったのは1988年です。
以来、3位、5位、5位と好成績を3期続け、
ついに4期目に14勝4敗で2位の成績を収めて、
19歳で四段昇段を果たします。
1990年4月1日のことです。
実は同学年の羽生さんが、
すでに初の竜王位に就いていた頃のことでありました。
…この頃プロデビューした1969年〜71年生まれの棋士達は、
「羽生世代」と呼ばれることが多いですが、
郷田九段は間違いなく「羽生世代」の一人として数えられています。
化物クラスの戦績
*日本将棋連盟より引用
「羽生世代」の共通点としては、その化物クラスの戦績にあります。
羽生さんが居なければ……という「たられば話」をしてもキリがないのですが、
もしそういうことであったのなら、
郷田九段は、間違いなく一つの帝国を築いたであろう実力の持ち主の一人です。
タイトル獲得は合計6期(王位 1期・棋王 1期・王将 2期・棋聖 2期)。
タイトル戦登場回数は18期、他棋戦優勝7回と堂々たる成績ですよね。
ただ残念なことに、
最近はタイトル戦に登場されることが少なくなってきています。
とても実力がある方ですから、
これからの郷田九段の盛り返しを期待したいものです。
棋風
*日本将棋連盟より引用
郷田九段は、生粋の居飛車党です。
まれに陽動振り飛車を採用することもありますが、
振り飛車を指している郷田九段を、私は見たことがありませんね。
踏み込みのよい、直線的な攻め合いをする特徴とする剛直な棋風でして、
まさに「王道」という指し回しをされます。
また、棋風とは違ってくるかもしれませんが、
郷田九段はPC解析全盛の現在の棋界において、
パソコンやメールなどを用いた研究や情報交換には
否定的・無関心であるとされています。
そのように言われている中で、
「大和証券杯ネット将棋・最強戦」の第1回の優勝者となったことは、
将棋専門紙の見出しに『パソコンなくても初代覇者』と出るほど、
とても話題になりました。
しかしその一方で郷田九段は、この優勝の副賞でパソコンをもらったのにもかかわらず、
今でも棋譜データベースで過去の実戦例を調べる程度で、
将棋ソフトは使っていないとのことです。
この郷田九段の姿勢を見ていると、
私の勝手な憶測ですが、
『将棋は生身の人間同士が指してこそ、筋書きのないドラマを生み出すもの。』
…それが郷田九段の持論のような気がしてしまいます。
眼鏡でイメチェン?
冒頭で、郷田九段が結婚した時騒がれたとお伝えしましたが、
もともと郷田九段は「イケメン棋士」として有名だったので、
「いつ郷田九段は結婚するのだろう?」ということが、
ファンの間では密かにささやかれていた話題だったのです。
郷田九段はデビュー当時から、
その端正な顔立ちで女性ファンを虜にしてきてますからね〜。
デビューの頃の写真を貼っておきましょう。
*Togetterより引用
…ね。
めちゃめちゃカッコいいでしょ?
ただご本人は、あまりにも周りに顔のことばかり言われ煩わしくなり、
「俺の顔じゃなくて俺の棋譜を見ろ!」とばかりに眼鏡をかけ、
わざと太り始めたという都市伝説が、まことしやかに語られています(笑)
プロレスファン
*日本将棋連盟より引用
郷田九段は、プロレスファンとしてもよく知られています。
日本将棋連盟ホームページのコラムに『郷田真隆九段とプロレス』という題名で、
ご本人が寄稿されていますが、
ことプロレス(スポーツ)の話となると、このコラムの分量ではとても足りない感じです。連載にしてくれないかな(笑)
*日本将棋連盟より引用
…と述べているほど、プロレスに対する思いは深いみたいですね。
幼少時は全日本プロレス派だったとのことで、
小橋建太選手については
「デビュー時から引退試合まで見ている」と語っています。
最近では将棋好きで知られる田口隆祐選手(新日本プロレス)と、
『将棋世界』2014年4月号で対談を行ったのをキッカケに
交流が続いているそうで、
度々田口選手の試合を観戦されているみたいですね。
…ちなみに郷田九段の好きなプロレス技は、
ディック・マードック選手の技
「カーフ・ブランディング」だそうです。
…し、渋い!(笑)
アマ六段(!)の認定を受けたほどの腕前です。
ご本人は郷田九段との対談で、
「何年もかかってやっと取れました」と
ご謙遜されていましたが、
全国中学生選抜将棋選手権大会の
宮城県代表になったこともあるそうですので、
只者じゃないですね…。
人柄
*日本将棋連盟より引用
最後に郷田九段の、お人柄のエピソードをお伝えして終わりたいと思います。
2011年3月11日、東日本大震災が起きたその日、
郷田九段は東京千駄ヶ谷の将棋会館で対局中でした。
ひどく揺れたその中で、
多くの棋士たちは「我関せず」で動かなかったそうです。
しかし郷田九段は、
一度避難したあと記録係に、
「次に何かあったら、こちらを気にせずに自分の判断で逃げるように。」と
念を押しました。
後日郷田九段は、このことについてこう語ったそうです。
「対局者が動かないのに、
記録係の奨励会員が逃げられるわけがない。
棋士はいいんだ、自分の身は自分で守れるし、
棋士になってやれることをかなりやったんだから。
でも修行中で、
まだ何もやれていない奨励会員に何かあったら、
僕は耐えられない。」
出版芸術社刊 後藤元気著
『将棋棋士の名言100』P174より引用 一部改変
…郷田九段の奨励会員へ対する愛情の深さが、よくわかる逸話ですね。
郷田九段、素敵すぎます…。
こんなに中身もカッコいい棋士も、なかなかいませんよね。
当ブログは郷田真隆九段を応援し続けます!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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