将棋 なんじゃこりゃ用語⑥ 投了(その1)

将棋 なんじゃこりゃ用語

自ら負けを認める

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相手の王様は取らない

 

なんじゃこりゃ用語第6弾。

本日は「投了」をご紹介いたします。

 

「投了」とは負けの意思表示をすることを言い

自分の手番で「負けました。」「参りました。」と発声するか、

頭を下げて駒台に手を置くことで、

相手に負けたことを示すことを指します。

…実はこの「負けを認める」ということが、

他の競技とは全く違う将棋の決着の付け方となっております。

 

他の勝負事では、負けを認めてゲームセットということはなかなか見られませんよね。

だからある意味「なんじゃこりゃ」なんです。

「王を取ったら負け。」ということは、

将棋を全く知らない方でもよく知っているルールだと思いますが、

実際の対局では、王様が駒台(取った駒をおいておく台)に乗ることはありません。

自玉に詰みがあったり、駒損が著しく勝ち目が全く無い時などに「投了」をして、

そこで将棋の対局に決着が付くのです。

 

この投了という負けを認める行為があって決着がつくことにより、

将棋には数々のドラマが生まれます。

今回はその投了に関する2つの逸話をご紹介いたします。

 

公式棋戦における逸話①

日本将棋連盟より引用

左が神谷広志八段 右が増田康宏六段

 

2018年3月15日から16日未明にかけて行われた第76期順位戦C級2組10回戦。

先手増田康宏五段と後手神谷広志八段(どちらも当時)の対局時のことです。

 

増田五段は藤井聡太七段(当時四段)が29連勝を達成した時の対局者で、

「矢倉は終わりました」発言で物議をかもしたことでも有名な若手です。

将来活躍が有望視されている若手棋士の一人ですね。

 

そして神谷八段は藤井六段(当時)が29連勝を達成する前の

連勝記録保持者28連勝を達成した棋士でもあります。

お二人とも藤井七段と因縁浅からぬ棋士というところが面白いですが、

なんとこの対局では、

勝利目前の神谷八段が相手玉の「詰み」に気づかず、

敗北を認めて投了してしまうという出来事が発生しました。

 

二人の対局は15日午前10時に始まったのですが、

お互い拮抗し午後10時45分に「千日手」が成立。

30分後に指し直し局が始まった後お互い疲れきった状態で発生した出来事になります。

勝利を自ら逃したことを知らされた神谷八段は

「一瞬だけチャンスが来たのか。詰み(のある局面)で投了はひどすぎるね。」

と言って、頭を抱えていました。

この時の写真は、色々なところで掲載されたのでご存じの方も多いかと思います。

2018-03-15 順位戦増田康宏 五段 vs. 神谷広志 八段 第76期順位戦C級2組10回戦↓
増田康宏 五段 vs. 神谷広志 八段 第76期順位戦C級2組10回戦

 

この対局のでの出来事は、

投了する側とされる側の明暗がくっきり分かれたエピソードとして、

私はかなり印象的に覚えています。

 

公式棋戦における逸話②

日本将棋連盟より引用

左が真部一男九段 右が豊島将之二冠

 

2007年10月30日に行われた第66期順位戦C級2組6回戦のことです。

先手の豊島将之四段と後手の真部一男八段(どちらも当時)の対局で、

真部八段が、直後に極めて有力な攻めの妙手を発見していたにもかかわらず、

それを指さずに僅か33手で投了したということがありました。

この時実は真部八段は癌を患っており、

その妙手を指すと豊島四段が応手に困って長考を重ねるに違いないので、

それでは自らの身体が持たないであろうと判断して投了したという話があります。

真部八段の知られているお人柄を考えると、

単に自分の身体を慮ったため投了したとは考えづらく、

対局中に倒れたら、それこそ対局者である豊島四段にだけではなく、

記録係を含めた大勢の人達に迷惑をかけるからと配慮し投了したのではないでしょうか

2007-10-30 順位戦豊島将之 vs. 真部一男 順位戦↓
豊島将之 vs. 真部一男 順位戦

 

ちなみにこの対局が真部八段の絶局となり、

真部八段は残念ながら11月24日に亡くなりました(没後九段追贈)。

 

27日がお通夜でしたが、

その日に行われた大内延介九段―村山慈明四段(当時)戦で、

どういう運命なのか、

なんと真部八段の絶局と同局面が出現するという奇跡が起きます!

そこで大内九段は、その真部八段の構想と同じ妙手を指して一時優勢となります。

真部八段の発見した手は、絶妙手だったという証明となったわけですね。

 

しかしながら、途中まで優勢だったもの

大内九段は終盤で逆転負けとなってしまいます。

局後真部八段のこの話を知った大内九段は、

「勝ってやらなきゃいかんかったな…。」と語ったそうです。

2007-11-27 順位戦村山慈明 vs. 大内延介 順位戦↓
村山慈明 vs. 大内延介 順位戦

 

真部九段の幻の妙手と、大内九段がそれを再現したことは、

棋界で大きな話題となりました。

翌年3月に行われた将棋大賞の選考では、真部-豊島戦を名局賞に推す声が上がり、

一手の価値を認められて升田幸三賞(新戦法や妙手に与えられる)の

特別賞が与えられることになります。

これまで実際に指されなかった手に升田幸三賞が与えられたことはなかったのですが、

構想にあったことは明らかであり、

「指したのも同じ」とされ、受賞の運びとなったのです。

 

投了時に考えていた幻の一手にまつわる、不思議で感動的な逸話でした。

こういうことが起きるから、

ホント将棋はサイコー!ですね。

 

「投了」に関しては、まだまだお伝えしたいことがあるので、
次回第二部に続きます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメント

  1. ぶりあん より:

    ふむ…てんてーの逸話は次回ですか^^

    24のR戦だと比較的早く投げますが
    549の大会の時は解りやすいトコロまで指すようにしてましたね
    よくG様やゆーとさんには投げさせられますた(ノー`)

    • うに うに より:

      てんてーのエピソードは、てんてーの紹介のところに加筆する予定です。
      「投了」に関しては、元奨励会の方の著書をベースに書くつもりでいますので、また毛色の違う文になりそうです。
      ご期待に沿えず申し訳ありませんm(_ _)m